¿QUIÉN ES CHE?
■1928( 0歳) 6月14日、アルゼンチンのロサリオで生まれる。
■1930( 2歳) ブエノスアイレスに転居。最初の喘息発作に襲われる。
■1941(13歳) コルドバに転居。アルベルト・クラナードと最初の放浪の旅。
■1947(19歳) ブエノスアイレス大学医学部に入学。
エルネスト・チェ・ゲバラ・・・革命に生き、革命を求め、革命に殉じた男
■1951(23歳) オートバイで初めて国境を越え、南米縦断旅行に出発。
■1952(24歳) チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラを経て、マイアミへ。
■1953(25歳) ブエノスアイレス大学卒業。ボリビア、ペルー、エクアドルを
経てグアテマラで亡命ペルー人のイルダ・ガデアと出会う。
●カストロ・・・モンカダ兵営襲撃。
■1954(26歳) グアテマラのアルベンス社会主義政権が崩壊。
メキシコへ向かい、街頭写真屋を開業。
■1955(27歳) イルダと結婚。メキシコ市立病院に医師として就職。
●メキシコ亡命中のカストロと出会い、意気投合。
■1956(28歳) 長女イルディータが生まれる。
メキシコ官憲に逮捕され、57日間拘留。
●カストロ率いる反乱軍の82名は、グランマ号に乗船し、メキシコのトゥスパンから
キューバへ向かう。
チェは軍医として参加。オリエンテ州のコロラダス湾に上陸。
バチスタ政府軍の襲撃で大半が死亡、シエラマエストラに転戦。
■1957(29歳) 第二舞台の司令官として少佐に任命される。
■1958(30歳) サンタクララ総攻撃。政府軍3,000人に対し、反乱軍300人の白兵戦で完全占領。
■1959(31歳) 1月、バチスタ大統領、国外逃亡。カストロ軍ハバナ入城。
2月、キューバ市民となる。
6月、アレイダ・マルと結婚。
6月〜9月 エジプト、インド、日本(7月15日〜27日)など11カ国を親善訪問。
11月、国立銀行総裁に就任。
■1960(32歳) 10月、アメリカ、対キューバ経済封鎖開始。
10月〜12月、経済使節団長としてソ連、中国、北朝鮮など社会主義国を歴訪。
■1961(33歳) 1月、アメリカと国交断絶。
4月、CIAの傭兵がキューバ侵攻(ピッグス湾事件)。
8月、ウルグアイ訪問の後、フロンディシ大統領の招きで故国アルゼンチンに帰国。
わずか4時間の滞在。
■1962(34歳) 10月、キューバ・ミサイル危機。
■1963(35歳) 1月、母セルナがキューバ訪問。各工場を視察するかたわら、サトウキビ畑などで労働。
自発的労働奉仕を率先する。
7月、アルジェリア独立一周年記念式典に出席。
■1964(36歳) 3月〜4月、国連の貿易開発会議にキューバ代表団長としてジュネーブ訪問。
4月、ベンベラ大統領の招きでアルジェリア訪問。
12月、ニューヨークの国連総会で演説。
■1965(37歳) ニューヨークからの帰路、アルジェリア、マリ、コンゴなどアフリカ諸国を訪問。
2月のアルジェ演説の後、公式の場から姿を消す。
4月、カストロに「別れの手紙」を書く。
8月、変装してコンゴへ。
■1966(38歳) 4月、コンゴから帰国。
11月、プラハ経由でブラジルからボリビアに入国。11月7日から「ボリビア日記」を書き始める。
■1967(39歳) 1月、ボリビア共産党第一書記マリオ・モンヘと決裂。
3月〜4月、レジス・ドブレ、合流。
4月、ハバナの中南米人民連帯機構総会へ「2つ、3つ、数多くのベトナムを」のメッセージ。
いくどとなく政府軍と交戦。
10月8日、イゲラ村で捕らえられる。
10月9日、銃殺。
■1968 7月、「ボリビア日記」がキューバで刊行。
■1997 7月、キューバ・アルゼンチン合同調査団により、ボリビアのバジェグランデで遺骨発見。
ハバナに移送される。
10月、没後30周年の式典が行われ、遺骨はサンタクララに移送。霊廟が建設される。
Ernest Che Guevara
( 1928 - 1967)